無事、横浜に帰ってきました。
改めまして、フルマラソン完走できました。
みなさんの応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
詳しいタイムは下記の通りです。
括弧内はラップタイムです。
〜10km:1時間01分16秒
〜20km:2時間01分17秒(1時間00分01秒)
〜30km:3時間02分52秒(1時間01分34秒)
〜40km:4時間23分57秒(1時間21分04秒)
〜ゴール:4時間40分58秒(17分01秒)
という事で、完走証と完走メダルをもらいました。
この日はかなり日差しが強く「こりゃ暑さにやられそうだと」思い、最初の給水所から早々に頭に水をかけました。
その後もずっと水をかけながら走ってました。
沿道の応援は絶えずあって、とてもありがたかったです。
正規の給水所以外にも、ボランティアでスポーツドリンク、バナナや黒糖、塩などを選手にふるまってくれる人がとてもたくさんいました。
他にもおにぎりやそば、だんごなどいろいろありました。
食べ物以外にもエアーサロンパスやマッサージなどもありました。
これ、みんなそれぞれ自腹切って、見ず知らずのランナーにふるまってくれているんですよねぇ。
本当に嬉しかったです。
沖縄の人たちの温かさを感じました。
ただ一つ、約7km地点でかなりむかつく応援が・・・
マイクを使って大音量で「あとたった35キロです」
じゃーテメーで走ってみろよ!!と思いました。
この頃はまだ余裕があるから、苦笑い程度で済みましたが。
しかしこの応援をしていた人、ランナーが聞いたらどんな気持ちになるか分かって言っているんでしょうかねぇ?
さて、前半は登りの多いコースでした。
予定では20kmまでは余裕で走るはずだったのに、15km過ぎからもう「歩きたいなぁ」という思いがでてきました。
坂もありますが、やっぱり暑さでしょうね。
それでも上のタイムを見てもらえれば分かると思いますが、ここではまだ踏ん張っていました。
ぼくは給水があまり上手ではなく走りながらでは飲めないので、水を飲むときだけは歩くようにしています。
前半は水を飲むために歩いていたのが、中間地点を過ぎた辺りからは逆になって歩く口実を作るために水を飲むようになっていました。
この時点でかなり心が折れています。
25kmあたり、まだ坂が続きました。
この頃になると、本当にゆるやかな坂でもすごくきつかったです。
坂の上に空が広かっているのが見えたので、眺めがいいのかなぁと思ってそこまで頑張ったら、本当にいい眺めで海が一望できるようなところでした。
後ろの方のランナーになると、そこで立ち止まってカメラを取り出し記念撮影をする人もいるらしいです。
さらに強者になると、25km地点にあるひめゆりの塔の資料館をしっかり見学してから走るランナーもいるとか。
30kmまでは何とか走り続けられました。
タイムも全然落ちていませんし。
ただこの30km、前回ジョギングで走ってみて「これが自分の限界のような気がするなぁ」と思っていました。
それが本当に当たっていたようで、ここを過ぎてから1kmが急に長く感じるようになりました。
そして32km付近でとうとう歩いてしまいました。
「これからが本当の地獄だ」by ベジータです。
まずここで心の限界がやってきました。
歩道に入って交差点にあるポールに座ってしまいました。
ここからは、走ってはまたフラフラと歩いての繰り返しでした。
そして何度目かに立ち止まったところがちょうどエアーサロンバスをもったおばさんのところで、足にかけてもらいながら世間話をしました。
「本土からですか?」「(本土ってどこのこと?と思いながら)横浜からです」とか。
あとは「NAHAマラソンは何回目ですか?」「初めてです」とか。
ちょっとした会話でしたが、それがすごく心に染みました。
そこからしばらく行くと、何だか○ンタマがスースーとしてきました。
どうもエアーサロンバスを足の上の方までかけすぎたようです。
でも、気持ちいいとか気持ち悪いとか考える余裕もなかったです。
それでも「ブログのネタになる」とだけは思いましたが。
(下ネタすみません)
35km過ぎた辺りからでしょうか。
歩いてでも一歩進めばそれだけゴールが近づいてくると考えられるようになり、ほんのちょっとだけ前向きになりました。
そこからは普段の通勤のように大股でのしのしと歩くようにしました。
絶対に止まらないという気持ちで。
それで前を歩いていた人を何人か抜かしましたねぇ。
そして37km付近、ここでまた走ってみたら右腿の後ろ側に今まで感じた事のない痛みがきて、足が壊れると思いました。
そしてここからは完全に歩きです。
それでも足は止めないようにしました。
これって、走らない事の言い訳に過ぎないんですが・・・
そして「ぼく、何でこんなことやってるんだろう?」なんて、マズい考えが頭をよぎるようになりました。
もう本気で心が折れてます。
今気づいたんですが、自分は前しか見ていなかったので1人だけ置いていかれてどんどん抜かされていくのしか見えませんでしたが、後ろを見れば自分と同じように歩いている人もたくさんいたんだろうなぁと思います。
最後の競技場がある公園が見えてきて、また走り出しました。
最後ぐらいは走ってゴールしたかったので。
ただ右の腿がかなり危なかったので、できるだけ足を高く上げないようにして。
そうして最後ゴールしたら、感動よりも「ようやく開放される」という思いでした。
とりあえずフラフラと完走証とメダルをもらうとそのまま荷物置き場まで歩き、荷物を取るとテレビ局のバスの横で座り込んで、そこからしばらく動けませんでした。
記録上は完走ですが途中歩いてしまったので、胸を張ってフルマラソンを走りきったとは言えませんねぇ。
F1で、最後の方でリタイヤしたけど完走扱いというような感じでしょうか。
これがゴールしても感動がなかった原因です。
本当に、自分の精神面がいかに弱いかを思い知らされました。
ただ自分を責めてばかりでも救われないので、ちょっとだけ褒めてみましょう。
今回の完走者は1万5〜6千人で、完走率は60数パーセントらしいです。(正式な発表をぼくは見ていませんが)
今年は暑くてコンディションが悪かったらしいので、完走率が例年よりも10パーセント近く低かったらしいです。
その中で3519位って、初のフルマラソンにしては結構頑張れたのではないかと思います。
なので、素直に「お疲れ様でした」と自分に言ってあげたいと思います。
いやぁ、初めてフルマラソンを走ってみましたが想像を絶する厳しさでした。
その厳しさをしれば、ハーフマラソン程度を走りきっても何の自慢にもならないと思いました。
来年は・・・どうしましょうかねぇ。
とりあえず今のところは考えられません。
参加中のランキングです。興味のあるカテゴリがあったらクリックをお願いします。
改めまして、フルマラソン完走できました。
みなさんの応援のおかげです。
本当にありがとうございました。
詳しいタイムは下記の通りです。
括弧内はラップタイムです。
〜10km:1時間01分16秒
〜20km:2時間01分17秒(1時間00分01秒)
〜30km:3時間02分52秒(1時間01分34秒)
〜40km:4時間23分57秒(1時間21分04秒)
〜ゴール:4時間40分58秒(17分01秒)
という事で、完走証と完走メダルをもらいました。
この日はかなり日差しが強く「こりゃ暑さにやられそうだと」思い、最初の給水所から早々に頭に水をかけました。
その後もずっと水をかけながら走ってました。
沿道の応援は絶えずあって、とてもありがたかったです。
正規の給水所以外にも、ボランティアでスポーツドリンク、バナナや黒糖、塩などを選手にふるまってくれる人がとてもたくさんいました。
他にもおにぎりやそば、だんごなどいろいろありました。
食べ物以外にもエアーサロンパスやマッサージなどもありました。
これ、みんなそれぞれ自腹切って、見ず知らずのランナーにふるまってくれているんですよねぇ。
本当に嬉しかったです。
沖縄の人たちの温かさを感じました。
ただ一つ、約7km地点でかなりむかつく応援が・・・
マイクを使って大音量で「あとたった35キロです」
じゃーテメーで走ってみろよ!!と思いました。
この頃はまだ余裕があるから、苦笑い程度で済みましたが。
しかしこの応援をしていた人、ランナーが聞いたらどんな気持ちになるか分かって言っているんでしょうかねぇ?
さて、前半は登りの多いコースでした。
予定では20kmまでは余裕で走るはずだったのに、15km過ぎからもう「歩きたいなぁ」という思いがでてきました。
坂もありますが、やっぱり暑さでしょうね。
それでも上のタイムを見てもらえれば分かると思いますが、ここではまだ踏ん張っていました。
ぼくは給水があまり上手ではなく走りながらでは飲めないので、水を飲むときだけは歩くようにしています。
前半は水を飲むために歩いていたのが、中間地点を過ぎた辺りからは逆になって歩く口実を作るために水を飲むようになっていました。
この時点でかなり心が折れています。
25kmあたり、まだ坂が続きました。
この頃になると、本当にゆるやかな坂でもすごくきつかったです。
坂の上に空が広かっているのが見えたので、眺めがいいのかなぁと思ってそこまで頑張ったら、本当にいい眺めで海が一望できるようなところでした。
後ろの方のランナーになると、そこで立ち止まってカメラを取り出し記念撮影をする人もいるらしいです。
さらに強者になると、25km地点にあるひめゆりの塔の資料館をしっかり見学してから走るランナーもいるとか。
30kmまでは何とか走り続けられました。
タイムも全然落ちていませんし。
ただこの30km、前回ジョギングで走ってみて「これが自分の限界のような気がするなぁ」と思っていました。
それが本当に当たっていたようで、ここを過ぎてから1kmが急に長く感じるようになりました。
そして32km付近でとうとう歩いてしまいました。
「これからが本当の地獄だ」by ベジータです。
まずここで心の限界がやってきました。
歩道に入って交差点にあるポールに座ってしまいました。
ここからは、走ってはまたフラフラと歩いての繰り返しでした。
そして何度目かに立ち止まったところがちょうどエアーサロンバスをもったおばさんのところで、足にかけてもらいながら世間話をしました。
「本土からですか?」「(本土ってどこのこと?と思いながら)横浜からです」とか。
あとは「NAHAマラソンは何回目ですか?」「初めてです」とか。
ちょっとした会話でしたが、それがすごく心に染みました。
そこからしばらく行くと、何だか○ンタマがスースーとしてきました。
どうもエアーサロンバスを足の上の方までかけすぎたようです。
でも、気持ちいいとか気持ち悪いとか考える余裕もなかったです。
それでも「ブログのネタになる」とだけは思いましたが。
(下ネタすみません)
35km過ぎた辺りからでしょうか。
歩いてでも一歩進めばそれだけゴールが近づいてくると考えられるようになり、ほんのちょっとだけ前向きになりました。
そこからは普段の通勤のように大股でのしのしと歩くようにしました。
絶対に止まらないという気持ちで。
それで前を歩いていた人を何人か抜かしましたねぇ。
そして37km付近、ここでまた走ってみたら右腿の後ろ側に今まで感じた事のない痛みがきて、足が壊れると思いました。
そしてここからは完全に歩きです。
それでも足は止めないようにしました。
これって、走らない事の言い訳に過ぎないんですが・・・
そして「ぼく、何でこんなことやってるんだろう?」なんて、マズい考えが頭をよぎるようになりました。
もう本気で心が折れてます。
今気づいたんですが、自分は前しか見ていなかったので1人だけ置いていかれてどんどん抜かされていくのしか見えませんでしたが、後ろを見れば自分と同じように歩いている人もたくさんいたんだろうなぁと思います。
最後の競技場がある公園が見えてきて、また走り出しました。
最後ぐらいは走ってゴールしたかったので。
ただ右の腿がかなり危なかったので、できるだけ足を高く上げないようにして。
そうして最後ゴールしたら、感動よりも「ようやく開放される」という思いでした。
とりあえずフラフラと完走証とメダルをもらうとそのまま荷物置き場まで歩き、荷物を取るとテレビ局のバスの横で座り込んで、そこからしばらく動けませんでした。
記録上は完走ですが途中歩いてしまったので、胸を張ってフルマラソンを走りきったとは言えませんねぇ。
F1で、最後の方でリタイヤしたけど完走扱いというような感じでしょうか。
これがゴールしても感動がなかった原因です。
本当に、自分の精神面がいかに弱いかを思い知らされました。
ただ自分を責めてばかりでも救われないので、ちょっとだけ褒めてみましょう。
今回の完走者は1万5〜6千人で、完走率は60数パーセントらしいです。(正式な発表をぼくは見ていませんが)
今年は暑くてコンディションが悪かったらしいので、完走率が例年よりも10パーセント近く低かったらしいです。
その中で3519位って、初のフルマラソンにしては結構頑張れたのではないかと思います。
なので、素直に「お疲れ様でした」と自分に言ってあげたいと思います。
いやぁ、初めてフルマラソンを走ってみましたが想像を絶する厳しさでした。
その厳しさをしれば、ハーフマラソン程度を走りきっても何の自慢にもならないと思いました。
来年は・・・どうしましょうかねぇ。
とりあえず今のところは考えられません。
参加中のランキングです。興味のあるカテゴリがあったらクリックをお願いします。
初のフルマラソンでかなり早い順位で完走できた事に驚いてます。
もっと、自分を褒めてあげて下さいね!
本当に頑張ったと思いますよ。
文章を読みながら「人生と似てる」って思いましたねぇ。
僕は今30キロ地点で「これから本当の地獄が始まる」と頭の中をよぎりつつ、座り、歩き、オバチャンと会話中って感じかもしれないです。
「僕なんでこんな事してるんだろ?」はいつも考えてる事なのですよ・・・。
文章を読みながらウルっとしてしまいましたが、僕は何キロマラソン走ってるのかなぁ(何
このマラソンでcremonaさんの人生に色んな物がプラスされて大きくなって沖縄から戻ってきたと思うのですよぉ。
なので、自信を持って自分を褒めてあげて下さいねぇ。
ちょっと、真面目な事書いてる僕ってキモいなぁ(マテ
今日も1日穏やかな日を過ごして下さいね。